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言いたいこと置き場

サカナクション 暗闇 レポ

 今更にもほどがあるが、サカナクション「暗闇」公演のレポートを書いたので掲載する。

 鑑賞直後に書いたメモをもとに、サカナクションのことをよく知らない人間が自分なりにまとめた稚拙な内容のため、ファンには怒られるかもしれない。

 

 

 

幕前

 

 幕前の客席は通常のコンサートよりもずっと暗かった。5,6秒ごとに銅鑼の音がなっている。お香のような香りもわずかに漂っている。最前列前の通路を黒子が歩き回っている。

 ここはどこなのだろうか、これから何が始まるのだろうかという期待と不安が混ざった気分になる。

 ステージの上には、人の胸の高さほどある5つの台が置かれている。演奏のための機材が置かれているのだろう。開幕の時間が迫ると、黒子がその台を板で囲い、人1人が入れる大きさぐらいの箱にする。

 しばらくすると紺色の衣装を纏ったサカナクションの5人が現れる。客席に一礼をして機材の台の後ろへ向かう。完全に姿が見えなくなった。

 機械音声でのアナウンスが行われる。この後、「プラクティス」として暗闇の環境に慣れる時間を設け、そこで負担を感じた人は退席するようにという内容だった。

 

 

 

ラクティス チューニング リズムのずれ

 

 徐々に視界が暗くなっていく。暗闇の世界に穏やかに導かれるようで、眠りに落ちる感覚に似ていると思った。

 メトロノームの音が2つ。テンポが異なるので、重なったりバラバラになったりする。

 バイオリンの音は右上から降ってくるように聞こえる。

 ベースの音は反対に、左上から落ちてきた。

 ほとんどメロディーと言えるものはなく、リズムと和音が漂うような音楽だった。

 暗闇という環境が故に、どんどん聴覚が鋭敏になっていくのを感じる。

 自然界に存在しないような真っ暗闇だった。

 どんな音楽が生まれてくるだろうと、耳に意識を集中させるが、普段の生活の中で「耳をすませる」よりも、もっと強く音を拾おうとする。

 「聴覚の暴走状態」とも感じるぐらい、目の前で起こることを、耳の先で起こることを全力で知覚していた。

 

 

 

第一幕 Ame(C)

 

 暴走している聴覚に、雨音が叩きつけられる。

 220度に設置されたスピーカーから流れる雨音に、雨に降られている錯覚すら覚えるが、体は濡れない。

 雷鳴とともに、ステージのスクリーンには落雷の映像が点滅する。何度も雷鳴が響くうちに、映像は白い円に変化する。白い円は、網膜に焼き付けられて、様々な色彩に変化しながら虚像を結ぶ。それはステージを彩るセルフのライティングになる。

 入道雲の映像も点滅する。

 点滅とともに、客席が照らされる。傘をさした黒子が、客席の通路に並んでいるのが見える。

 雨音に混じって、プラクティスで聞いたような音楽が聞こえる。リズムが主体で、メロディーの流れはほとんどない音楽。いつの間にか雨音は消え、リズムが会場を支配していた。

 リズムは観客を十分に盛り上がらせたあと、再び現れた雨音に消えていった。

 

 

 

 

第二幕 変容

 

 一般的な住宅のキッチンの、テーブルに置かれた湯のみと、その向こう側でこちらを見つめる女性の映像が流れる。

 今度はメロディーのある音楽が流れた。「揺れてる茶柱」と歌い上げる。

 穏やかなメロディーは、打ち付けるリズムに変化したり、また穏やかなメロディーに戻ったりを繰り返す。

 ふと強く茶の香りを感じる。視界が閉ざされているから、自分の生み出した幻臭なのか、ステージ上に何かがあるのか、判断がつかなかった。

 自分の方に向かってくる音を、肌で感じるようになった。音の正体が空気を揺るがす波長であったことを思い出した。

 やがて星のような光が見える。だんだん増えていく小さな輝きは、投影された映像なのか、自分が生み出した空想の世界なのかと考える必要があった。

 リズムと歌唱、メロディーが繰り返され、重なり合い、チラチラした光だった映像は徐々に白い水面に変化していった。

 

 

 

 

第三幕 響

 

 機材の台の前に、鐘・拍子木・和太鼓・パッド・鈴・鳴子のような木製の楽器が並べられた。

 台の前に出てきたサカナクションは、それぞれ楽器を手に取る。

 ゆったりと、凛々しく鈴が鳴らされる。それにあわせて、客席の通路に並んだ黒子も鈴を鳴らす。

 和太鼓、拍子木、鈴、木製の楽器の順番にスポットライトが当たり、フレーズを重ね合わせていく。

 和の響きに対立するように電子音の重低音が響く。

 全体のリズムがまとまっていき、ここでもやはり肌で音の波を感じ取るように聴いていた。

 

 

第四幕 闇よ 行くよ

 

 ここまでのプログラムで、暗闇での音楽体験は十分だと感じていたが、さらにその先があった。

 音数が増え、スピーカーひとつひとつを順番に使用することで、視界がぐるぐる回っているかのように感じる。もはやジェットコースター。

 光も視界の端から端へ駆け巡り、ステージに吸い込まれていくような感覚も覚えた。

 音の波を、聴覚の海を自由に泳ぐ「サカナ」になった気分だった。

 体に打ち付けるのは水ではなく音楽。肌にぶつかって流れ去る音が疾走感を生む。

 「僕たちはこの海を楽しみます。君はどうする?」と問いかけられているようだ。「闇よ 行くよ」とは、聴衆に対する挑戦の文言。英訳するなら「Are you ready?  I’m ready.」。ならばとその波に身を任せる。

 全てが終結すると、ステージが明るくなる。ステージにバックスクリーンはなく、空っぽでコンクリートが剥き出しのバックステージがあらわになっている。

台の前にサカナクションが姿を表すと、観客から大拍手が贈られる。

背を向けてステージの奥へ歩み出すサカナクション 。惜しみない拍手を贈る観客。

暗転するステージ。

終幕。

 

 

 音楽は立体である。/ 感想

 

「音楽は立体である。しかし、視覚はそれを見えないようにする霧だ。」

 

音楽制作というトンネルをくぐる度、いつもこの言葉と対峙します。

しかしライブというドキュメントでは、その言葉は意味を成しません。

 

音だけでなく、演奏する姿、照明、映像、様々な演出が折り重なり、一つのイメージを構築し、時代を切り取ることが

ライブの性質でもあるのです。

 

では、視覚情報を遮断したライブを行うとしたならば、

どのような体験になるのか。

 

以前、千葉幕張メッセでライブを行った際、「壁」という曲を、

照明は全く使わず、暗闇の中で演奏したことがありました。

 

楽器、FOHの機材からの光、会場常設の灯りなど

多少の光の漏れはありましたが、あの時僕らが感じた「闇」という力、

目に見えないことで聞こえてくる音の存在、体験。

 

それが今回の暗闇ライブの発想に繋がったと言っても過言ではありません。

 

あいちトリエンナーレの協力により、チームサカナクションの悲願でもあった、

完全暗転を使用したライブ演出を行うことができました。

 

映像、言葉、匂い、会場の響き、完全な闇の中だからこそ体感できるライブを、

我々チームサカナクションがここ愛知県芸術劇場にて実践致します。

 

楽しんでいただけることを祈っております。

 

サカナクション 暗闇 KURAYAMI パンフレットより

 

 「音楽は立体」「視覚は……霧」という文言から、聴覚だけを使って音の隅々までを繊細に受け取ってほしい、という思いがサカナクションにはあったのだろう。

 多くの人間が、視覚優位で情報を得ている。その視覚を奪うことで、完全に聴覚(あるいは嗅覚)に集中することができる。

 一方で、「音楽は立体で……それを見えないようにする」と言うように、鑑賞者が音を視覚的なものとして捉え、想像を膨らませることがあると想定されていたのだろう。220度に設置された音は、イヤホンで聞く音楽とは全く異なり、広いホールの中で、様々な角度から自由に立体物を創り上げているようにも感じられた。皮肉なことだが、わざわざ視覚を遮断した状態であるのに想像力は音という聴覚情報を視覚情報へと変換したのである。

 

 また、音楽を聴くという行為は身体全体を使ってすることだと改めて実感させられた。

 それは、この公演の中で呼び起こされた鼓膜だけではなく肌全体で音を受容する(しているかのような)体験であり、音楽の拍動に合わせて身体を揺らしたいという欲求だ。

 もともと音楽に合わせて身体を揺らす・音楽にのるという行為を理解できる人は多く、音楽にのって体を動かす経験は、たくさんの人が持っていると思う。この公演が、シッティング形態での鑑賞だったことを惜しく思う人もたくさんいただろう。(完全な暗闇でのスタンディングは安全上よくないと思うが)

 

 とにかく、全く想像を超えた新しい体験だった。全力で観客を調教してるな…と思った。楽しいというのが一番だった。

 

 第二幕では、ステージの上で実際に茶を焙じていたという。終演後に、ロビーで「闇茶」として数量限定で販売していたのは面白かった。手に入らなかったが。

 

 鑑賞後に、公演を一緒に見た先生とお刺身(魚)を食べたのも面白かった。もしかして、サカナクションファンあるあるだったりするのだろうか。